だが、怖くない人生など、その本質を欠く。
深夜にスイマセン。
りょーごくです。なかなか思うとおりに更新できないなぁ・・・
てなわけで今日は、去年今年と大分話題になった、「チ。ー地球の運動についてー」という漫画から一節をご紹介。この漫画の舞台は中世のヨーロッパ、「天動説」が絶対とされた時代において、それでも星の、地球の、即ち世界の真理を追い求める者たちの物語。
「合理的に生きる」を信条に、社会をイージーに生きてきた青年ラファウ。彼の前に現れたのは、異教信仰にて逮捕され、ぼろぼろの状態で釈放されたひとりの男。その男は首の皮一枚繋がったその命を、またも真理の究明につぎ込んでいく。次にバレれば必ず死ぬ。それでも異端たる信念を貫き猛進する男に、ラファウは問う。
「そんな人生・・・怖くはないのですか?」
男は応える。
「怖い。だが、怖くない人生など、その本質を欠く。」
このやりとりを初めて読んだときの雷に貫かれたみたいな衝撃、俺は一生忘れられないと思う。人間は恐怖にすこぶる弱い。だからこそ、その恐怖をひとつずつ潰していくために俺たちは生きていく。と、思ってた。
飢える恐怖から逃れるために、働く。
独りになる恐怖から逃れるために、人と繋がる。
死ぬ恐怖から逃れるために、長生きしようとする。
そして俺たちの大半は、失敗する恐怖から逃れるために、未知の世界には決して踏み込まない。知らないこと、経験が無いこと、他人が選ばないことは、十分すぎるほどの恐怖だから。それは人として当然のもの。特に今の時代は、とりわけ「失敗」というものが重くのしかかってきますからね。普通だ。
でも、その恐怖が、人間の根源的なものだとしたら、どうでしょう。人間が発展し尽くした今でこそ、「恐怖のない生き方」のモデルケースが存在してる。安全に、体よく、命を落とすこと危険無く、寿命を延ばしていく生き方がある。でも、大昔の人間はそうはいかなかったはず。初めてキノコを喰った人も、初めて海に飛び込んだ人も、初めて子どもを産んだ人も、きっと心の中は恐怖でいっぱいだったに違いない。それでも先人達が、誰も知らない「恐怖」に突っ込んだからこそ、今の常識が存在してる。そう、考えることはできませんか。
だったら、今の俺たち現代人にだって、その力があっても不思議じゃない。恐怖を乗り越えるパワーではなく、恐怖と共に生きていくパワーが。
恐怖を捨てるんじゃなくて、恐怖とともに進んでいく。怖い道を歩いて行くことこそが、人間の内に眠る力を目覚めさせることだと。そういう考え方を知っていると、たとえ道の先が「失敗」だったとしても、きっとその道程は違った意味を持ってくるんじゃないでしょうか。
恐怖を纏って結果も見えない、死ぬかもしれない人生を進む。きっと周りのひとから見たら「狂気」といわれるであろうその命の使い方に、別の呼び名を見いだしてみる。怖いけど、なかなかに魅力的じゃ、ないですか?
とにかく原作を読んでほしいです。
りょーごくでした。
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